短編集1

 

 

  心の行方


愛してよ愛して愛して愛して。愛してほしい。

どうして私は愛されないのかしら。私がどんなに色んな人を愛しても、私はいつも愛されなかった。

生みの親からは当然のこと、友達だって表面上でだけ。彼氏はすぐに浮気をして、私は愛されない。愛されない。愛されないの、孤独、孤独だわ。

私は誰からか愛されるためならばどんなことでもするわ。例え私が死んだってかまわないの。殺されてもかまわない。けれど、けれど、私の一番の大荷物はもう朽ちてしまったわ。

腐敗した自らの手を見つめる。私は死ぬのは怖くない。誰かから愛されるための試練ならば嬉々として死ぬわ。

だけど忘れられたくないの、ねぇ、せっかく死んだのに、誰も来てくれないの?ねぇ、誰か泣いて、私のために泣いてほしい。そうしないと、私はどこへも行けないから。


ああ、誰かから愛されている人、すべて死んでしまえ。


愛が死滅すれば、私のこの悩みも魂も、大荷物をおいて飛んでいけるのに。
 
 
 
*******
ジャンヌ・ダルクより心の行方。歌を小説にするお題でしたが手抜き感がひどあら

 

 

  先生

「先生」

私はそう呼ばれるのはすきではない。そんなにご立派なものではないからだ。

そんな気も知らず私をそう呼んだ編集の人は、私の渡した原稿をもつとすっとどこかに消えてしまった。

そんなことはどうでもいいけれど。キーボードを、自らの休息を得るために叩く。あと残りは少し。原稿にうずもれた汚い部屋で、私は風呂にも入れぬ体のままひたすらにキーボードを叩いた。

気がついたらこうなっていた。最初は試しに書いてみた本がバカ売れし、今やろくに休みもとれぬ仕事の量だ。

私はなにを書きたいのかわからぬままに原稿を打ち続ける。製作した私にすらわからないことを、コメンテーターやそれを気取ったネットの住人は、これはこういう意味があってと解釈してくれる。そこまで考えられるならいっそ彼らに書いてほしいくらいだ。

そういえばこないだ休みに聞いたラジオでは、最近の若いものが書く文学は何が言いたいのかわからない、あの人を見習うべきだと偉そうな人が言っていた。
あの人、とは私のことだった。私は自分の作品が何が言いたいのかさっぱりなのだが、そんな私を見習ってどうするつもりか。
私がたまに読む古本のがよっぽど何が言いたいのかわかるものだが。ああ、それも私の勝手な解釈かもしれない。

先に生まれた。だから先生。では若い作家は先生と呼ばれぬのだろうか。ああ、そうかもしれない。実際、今の風潮は若いものを軽蔑している。若いものが書いたものは結局は若くてだめだ。そんな解釈。

それなら私はもっと後に生まれたかった。そういう意図で作ったわけではない作品が勝手に解釈をされるのはもう嫌だ。
そしてすばらしい若い作家たちは先に生まれるべきだったのだ。そうすれば彼らは年齢で差別されることはなくなるのだから。

だから私は先生と呼ばれるのは好きではない。

書き終わった原稿を刷る。一番先の原稿は、後からきた原稿に潰されて、すぐに冷たくなった。
 
 
 
*******
作家ネタ。お題ネタは書きづらいのであんまり力はいってなかったので来年はがんばりたいです…